ヨーク大学日本語科三学年読解教材 AS/JP3000 6.0 Lesson 3:「 一生に一度でいいから奥さんの言うことを信じなさい。」 Once in your life, believe what your wife says!
ミシガン州立大学の大学院にいるある夏、家内と四人の子供たちを連れて、六週間のカナダ西部横断のキャンプ旅行に出かけた。途中で、家内の親戚や友達の家に泊まったり、キャンプ場でテントを張ってカナダの広大さを満喫した。古いバンを持っていたので、後ろを子供が寝られるようにして出かけた。アルバータ州に入るまでは非常に平坦な道路を毎日何百キロと走り、それこそ道端
に生えている木やすれ違う車の数を数えるくらいが、気を紛らわせる術であった。エコー渓谷というところで、大地が切断されているのは印象的であった。 指定されたサイトにテントを張り、そのころまでには、私もだいぶ手際がよくなっていたが、家内は夕食の支度、子供たちは薪取りなぞ、典型的なキャンプ風景が繰り広げられた。食事も終わり、家内は、食べ物の匂いのするものは、すべてきれいに洗い、バンの中にしまい、子供たちもバンの中に寝かせ、標高千五六百メートル以上の山中はしんしんと冷え込んできたが、キャンプファイアーの前に座り、コーヒーを飲みながら、カナダの雄大さを満喫していた。夜の十一時ごろ、家内はすでにテントで寝ており、私は透き通る夜空の大きな星などを見て感慨に耽っていた。 すると、突然、バンの陰でがさっという音がし、ふと目を向けると、中型の黒熊が、こちらを見ているではないか。「青天の霹靂」、いや、「闇夜の烏」、とでも言った方がいい状況である。夕方子供たちの作った、熊除けの缶からに小石を入れたのは、離れたテーブルの上にあり、とっさに、死んだふりをすることも考えたが、既に時遅し。それでも、キャンプファイアーが赤々と燃えているし、こちらはその前で椅子に座っていたので、ここまでは来ないだろうという少々の余裕はあった。ところが、である。熊はどんどんこちらに向かって来るではないか。私は、飲みかけのコーヒー・マグを握ったまま硬直した。まさにフリーズである。私も熊の方を見ないようにしていたが、熊の方も、目を合わせないで近寄ってくる。昔の剣豪同士の果たし合いというような殺気が頭をよぎる。はっと思った瞬間、半ズボンをはいている私の膝小僧を熊の毛がこすっていく。私とキャンプファイアーの間、約五十センチのところを熊は、堂々と通って行ったのである。その間目線は一度も合わせず、であったが、まさに熊の示威行為と思われた。 その時までは、それほど恐いという感じはなかったが、熊が次ぎに家内の寝ている、テントの回りをくんくんかぎ出した時には、焦った。しかし、さすが、キャンプなれしている家内であった。食べ物の匂いはまったくなかったので、熊はあきらめたように暗がりに消えて行った。その時すぐ家内を起こして熊の報告をしたかどうかは定かではないが、次の朝、近くで、「熊だ。熊だ。」という大騒ぎが聞こえた。ちなみに、キャンプ場で餌を漁る熊は、三回、百キロぐらい離れた所まで連れて行き、それでも戻ってきた場合は殺すのだそうである。元々自分のシマなのにと可哀相な気もした。 普通なら、これで話が終わるところであるが、そうではなかった。三日後にこのキャンプ場を離れ、バンクーバーに向かったのであるが、途中で、同じキャンプ場で、二人の男性が熊に襲われ、一人は片目を失い、もう一人は片腕を失うというニュースを聞いたのである。家内の話によると、子熊を連れている母熊は、人が子熊に餌をやったりしていると、狂暴になるそうである。私の出会った熊は、あうんの呼吸が分かっていたような気がする。 1997年5月29日 トロントにて 太田徳夫 |